アイアコッカの逆襲

胸のすくような逆襲撃だ。

フォード社を解雇された直後の1978年11月に、フォード社のライバルであり、日本車との販売競争や第2次オイルショック、ずさんな財務などのあおりを受けて、当時深刻な経営危機に陥っていたクライスラー社のジョン・J・リカルド会長に請われて同社の社長に就任する(その後1979年9月に会長に就任)。
就任後は同社の社内改革を進める一方、自らの年俸を1ドルとし労働組合との共闘の道を開いた。

また、1979年12月には、同月に成立した債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達に成功。同時にV型8気筒エンジン搭載の中・大型車中心の開発姿勢から、2.2リッター直列4気筒エンジン(Kエンジン)搭載の小型車(Kプラットフォーム 日本では中型セダンにあたるモデル)中心の開発へと舵を切った。

2年後、1981年に発売された小型車、プリムス・リライアント、ダッジ・アリエス、ダッジ400(いずれもKエンジン・Kプラットフォーム採用モデル)は大ヒットし、クライスラー社は深刻な経営危機から立ち直ることとなる。